大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和51年(あ)687号 決定 1977年3月16日

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人高江洲良文の上告趣意は、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。(記録によれば、被告人澤岻が間接補助金である本件造林事業補助金の交付につき単に沖繩県農林水産部林務課造林係員として上司の手足となつて補助的な事務を執つていたにすぎずその交付決定処分をするについてこれを左右する地位にあつたものではない旨の原判決の認定は相当と認められるから、同被告人は補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律二九条二項にいう交付する者にあたらないとした原判決の判断は正当である。)

よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、主文のとおり決定する。

この決定は、裁判官下田武三、同岸盛一、同岸上康夫、同団藤重光の各補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官下田武三の補足意見は、次のとおりである。

わたくしは、補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律二九条一項の不正受交付罪は真正身分犯であるから、補助事業者等又は間接補助事業者等の身分を有しない被告人澤岻及び被告人大城はいずれも同罪の正犯とはなりえないものであり、またその身分を有する相被告人宮城と共謀したからといつて、同罪の共同正犯となることもありえないと考えるものであり、従つて、右両被告人が受交付罪の共同正犯となるものとした原判決は、法令の解釈適用を誤つたものと考えるのである。

ただ、わたくしは、本件の場合については、右両被告人の行為は、受交付罪に対向する交付行為のみにとどまるものではなく、相被告人宮城の受交付行為を積極的に促した事実が認められるのであつて、そうである以上、受交付罪の教唆犯としての処罰はこれは免れることができないわけであるから、原判決を破棄しなくても著しく正義に反することとはならないものと考えるのである。

わたくしは、以上二点の理由の詳細については、団藤裁判官の補足意見に同調するものである。

裁判官岸盛一、同岸上康夫の補足意見は、次のとおりである。

本件における重要な法律問題は、補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律二九条一項の受交付罪につきその行為主体たりうる補助事業者等又は間接補助事業者等の身分を有しない被告人澤岻及び同大城が、その身分を有する被告人宮城と共謀して行つた本件犯行につき刑法六五条一項を適用し、被告人宮城との共同正犯の成立を認めた原判決の法律判断の当否である。換言すれば、いわゆる真正身分犯について、右条項にいう共犯に共同正犯が含まれるかという問題であつて、正犯の実行行為に加担しない共謀者も共同正犯としての刑責(いわゆる共謀共同正犯)を負わされるかという問題と共通するものである。この点につきわが刑法六五条一項のような規定を欠くドイツでは、古くから真正身分犯にあつては身分のない者は共同正犯となりえないとする一方、いわゆる共謀共同正犯についてはなんら条文の規定がないにもかかわらず、これを肯定していることは周知のとおりである。

ところで、大審院は、明治四四年四月一七日判決・刑録一七輯九巻六〇五頁以来一貫して刑法六五条一項が共同正犯に適用があり身分のない者が身分のある者と共同加功することによつて身分犯の正犯となることを肯定してきたのである。ことに当初は右条項は共同正犯に関する例外規定であり、教唆犯等は正犯に従属するものであるから当然に身分犯の教唆犯等が成立しあえて本条のごとき例外規定を必要としないとしていた(大審院明治四四年一〇月九日判決・刑録一七輯二二巻一六五二頁)ところ、その後右条項が教唆犯、幇助犯にも適用がある旨判示するにいたつた(大審院大正四年三月二日判決・刑録二一輯三巻一九四頁)が、その具体的事案をみるに、共同正犯に関する事例が圧倒的に多数を占めており、教唆犯、幇助犯に関する事例は極めて少ないのである。当裁判所もこの見解をうけついで今日に及んでいる(昭和二四年(れ)第二六四八号同二五年九月一九日第三小法廷判決・刑集四巻九号一六六四頁、昭和二五年(れ)第七六六号同二六年三月一五日第一小法廷判決・刑集五巻四号五三五頁、昭和三一年(あ)第三四二六号同三四年五月八日第二小法廷判決・刑集一三巻五号六五七頁)。

他面、大審院は、明治二九年三月三日判決・刑録二輯三号一〇頁以下無数の判例において共謀にのみ関与し実行に加担しなかつた者が共同正犯となりうるとの判断を示してきたのであるが、当初はいわゆる知能犯に限つてこれを認めていたところ(大審院大正三年六月一九日判決・刑録二〇輯二三巻一二五八頁、大審院大正一一年四月一八日判決・刑集一巻四号二三三頁)、昭和一一年五月二八日連合部判決・刑集一五巻一一号七一五頁をもつてその適用をいわゆる強力犯にも拡げ、以来これを一般的に認めるようになり、当裁判所もこれをうけついできているのである(昭和二九年(あ)第一〇五六号同三三年五月二八日大法廷判決・刑集一二巻八号一七一八頁、外多数)。

以上のとおり刑法六五条一項が共同正犯に適用があることを認める判例は共謀共同正犯についての判例と共通の問題点を包蔵しているのである。身分のない者は単独では身分を構成要件要素とする犯罪を犯すことはできないが身分のある者と共同加功することによつて身分犯の共同正犯となることを認めてきた従来の判例の態度は、具体的事実に即して、共謀に関与したが実行には加担しなかつた者でも共同正犯となることを認める基本的な態度に基づいているものであつて、今本件について刑法六五条一項の解釈を変更することは相当でないと考えるものである。

裁判官団藤重光の補足意見は、次のとおりである。

補助金等に係る予算の適正化に関する法律(以下、補助金等適正化法という。)二九条は、補助金等(間接補助金等を含む。以下、同じ。)の不正受交付罪(一項)および不正交付罪(二項)を規定している。判旨は右の不正交付罪の規定の適用に関するものであつて、このかぎりでは、わたくしとして、とくに述べることはない。問題は、不正受交付罪についてである。

原判決は、被告人澤岻および同大城の両名につき、被告人宮城とともに不正受交付罪の共同正犯(刑法六〇条)になるものとした。しかし、不正受交付罪は真正身分犯であつて、「交付を受けた者」とは補助金等を現実に受領した補助事業者等または間接補助事業者等をいうものと解しなければならない。被告人宮城は間接補助金を現実に受領した林業者であるから、まさしく不正受交付罪の正犯であるが、被告人澤岻および同大城の両名は、このような真正身分犯にはなりえず、したがつて共同正犯にもなりえないはずである。刑法六五条一項は、真正身分犯の共同正犯については、性質上適用を制限されるものといわなければならない(団藤・刑法綱要・総論・三二二頁以下参照)。岸・岸上両裁判官はその補足意見において原審の上記判断を正当として支持されるが、わたくしは、この点において両裁判官と見解を異にし、この問題に関する当裁判所の判例にも疑問をいだく者である。

しかし、真正身分犯についても、教唆犯および幇助犯に関するかぎり、刑法六五条一項の適用がある。けだし、教唆犯および幇助犯は、実行行為以外の行為をもつて正犯の行為に加功するものであつて、身分がない者にもその成立をみとめうるのは当然だからである。

ただ、本件においては、ここで、さらに、もう一つの重要な問題に行き当たる。それは、受交付罪と交付罪とは、必要的共犯のひとつである対向犯に属するからである。一般的にいつて、対向犯的な性質をもつa・bという二つの行為の中で、法律がa行為だけを犯罪定型として規定しているときは、当然に定型的に予想されるb行為を立法にあたつて不問に付したわけであるから、b行為は罪としない趣旨だと解釈しなければならない。したがつて、b行為がa罪の教唆行為または幇助行為にあたるばあいでも、それがa罪に対する定型的な関与形式であるかぎりは、これをa罪の教唆犯・幇助犯として罰することは許されないものと解すべきである。その限度で、刑法六一条、六二条は適用を制限されることになり(団藤・前掲書三三三―三三四頁参照)、同法六五条一項もその限度で適用の余地がないことになる。補助金等適正化法二九条は、前述のとおり、a行為(受交付罪)・b行為(交付罪)をともに犯罪定型として規定しているが、右の理論は、ここにもあてはまる。すなわち、補助金等を受交付者に交付した者は、前述のような交付罪の要件を具備するかぎりにおいて、交付罪によつて処罰されるにすぎないものといわなければならない。けだし、もし、右のような交付罪の要件を欠く者が、受交付者に補助金等を交付したというだけで、すべて受交付罪の教唆犯・幇助犯として処罰されることになるとすれば、法律がとくに一定の要件のもとに交付罪を規定している趣旨は没却されてしまうからである。したがつて、ここでも、その限度で、刑法六一条、六二条は適用を制限されることになる。わたくしが、本件で、もう一つの重要な問題に行き当たるといつたのは、この点である。

しかし、本件では、記録によれば、被告人澤岻は、まず被告人大城を説得し、同被告人とともに、しぶる被告人宮城に対し、造林は来年すればよいといい、さらに人件費・資材費等が上がつて本年度の予算で来年度造林すると損をするという宮城に対し、補助金を先に受取つて銀行に預金すれば埋め合わせがつくではないか、村有地に適当なところがあるから、これに造林すればよい、などと強く申し向けて、ついに宮城に補助金の申請を承諾させたものであることがあきらかである(記録によれば、この点につき、被告人三名の自白が一致している。)。そうであるとすれば、澤岻・大城両名の行為は、受交付罪に対する定型的な関与形式として単なる交付行為ではなくて、宮城の受交付行為を積極的に促進したものというべきであり、それはもはや前述のような対向犯の特殊性による不可罰の限度内には属せず、受交付罪の教唆犯としての処罰を免れないものというべきである。原判決が右被告人両名を被告人宮城とともに不正受交付罪の共同正犯になるものとしたことは不当であるが、両名がいずれにせよ同罪の教唆犯としての罪責を免れないものとみとめられる以上、原判決を破棄しなくてもいちじるしく正義に反するものということはできないので、いまだ刑訴法四一一条の職権を発動するのは相当でないと考える。

(岸上康夫 下田武三 岸盛一 団藤重光)

弁護人高江洲良文の上告趣意(昭和五一年五月三一日付)

原審判決は法令の解釈に関し重要な誤りがある。

即ち補助金等に関する予算の執行の適正化に関する法律(以下適正化法という)第二九条第二項の「交付する者」について解釈を誤り、其の結果法令の適用を誤つたものである。

原審判決によれば補助金等に関する予算の執行の適正化に関する法律第二九条二項に「交付する者」とは、支出の原因をなす支出負担行為と、これと表裏をなす補助金等の交付決定処分をするについて、これをある程度実質的に左右する地位にある者を指すものと解すべきところ、原判決挙示の関係各証拠によれば、被告人澤岻は、単に沖繩県農林水産林務課造林係員として上司の手足となつて補助的な事務を執つていたにすぎず、補助金の交付決定処分につきなんら独自の実質的裁量権を有していなかつたものであることが容易に看取され、したがつて被告人は、同条二項の「交付する者」に該当しないものといわざるを得ずと判示し、被告人澤岻が交付する者に該当しないと判示しているが、右判決は明らかに法令の解釈を誤つたものである。

「交付」の概念は現実の金銭の授受行為を指称するものではあるが「交付した者」或いは「交付を受けた者」という観念の中にはかかる組織体の頭脳の役目も手足の役目も凡て包含されるものと解するのが相当である。

このことは適正化法第二九条の第二項の立法趣旨及被告人澤岻の担当事務沖繩県造林補助金交付規定等に徴し明白であつて疑う余地がない。

以上のとおり被告人澤岻は「交付する者」に該当すること明白であるから刑法第六〇条の共犯規定は適用の法令の解釈の誤りに基づくものである。

適正化法第二九条第二項の立法趣旨

第二項は国会審議の過程に於て衆議院大蔵委員会の修正によつて追加された規定である。

交付する側の官庁職員としては若し当該公務員が補助金等を受ける者と相通じて不正な補助金等の交付をした場合、又は相手方の欺罔行為に対して錯誤に陥ることはなかつたが、第三者に利益を与える結果の発生を意識しつつ補助金等の交付をした場合には背任罪が成立する(刑法第二四七条)政府は当初、交付側の官庁職員等に対してもかかる刑事罰が適用となるのみならず、補助金等に関して国に損害を与えたような場合には、故意又は重大な過失ある予算執行職員に弁償責任までも課せられている等の理由から特に本条に規定を設ける必要なしと考えていたのであるが、この際交付者側にも受領者と同様の道義的水準を明示すべしという国会側の意見に同意した訳である。

本条第二項の犯罪は、前述せる如く申請者が不実なることを知りつつ、交付すべからざる補助金等を交付するものであるから、第一項の共犯であり特に規定を置く必要もないのではないかという疑問もある。

判例及び法務当局の見解によれば、第一項の場合の如く相手方がいなくては存在しないような犯罪行為(対向犯)について、交付を受ける側の処罰規定のみを置く場合には情を知つて交付した相手方を処罰しない趣旨であると解すべきものとしている。

以上のとおり、被告人等三名に対する原審判決は、法令の解釈を誤り其の結果法令の適用を誤つたものであるから当然破棄を免れ得ない。(添付書類省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例